M3 サブマシンガンについて

M3 サブマシンガンについて
M3 サブマシンガンについて
 

M3サブマシンガンについて

M3サブマシンガンとは、第二次世界大戦時に、アメリカ軍はトンプソン・サブマシンガンを制式採用していたが、トンプソンは性能重視であったため、生産性が悪かった。プレス加工と溶接だけで製造でき、安価で大量に生産できる短機関銃の開発が求められた。そこで開発されたのがM3サブマシンガンである。見た目は機械に潤滑油を挿す機材に形が似ていたため、愛称としてグリースガンと呼ばれた。ケーキデコレーター又は生産地からデトロイト・サブマシンガンとも呼ばれている。

M3サブマシンガンの特性

M3はシンプル故に故障知らずで稼働率が非常に高く、その上M1A1の1/5以下の値段で製造が可能であるため、大量に製造され前線に送られた。発射速度の遅さも.45ACP弾を撃つには程よい速度で連射制御が容易であり、一般の兵卒のみならず小火器を常用しない戦車兵の護身火器としても多用されたと云う。

1944年には更なる簡略化をしたM3A1が開発された。コッキング方法をもとのクランク式から、排莢口に指を突っ込んでボルトを直接動かす方式に変え、マガジンキャッチを強化するなどの改修が施された。これにより、製造費はM3の2/3となった。

しかし、第二次大戦の終結に伴い、発注の大半はキャンセルとなり約60万挺も生産されたM3に対し、M3A1の製造数は遥かに少ない1.5万挺程にとどまった。

M3は第二次大戦後も朝鮮戦争やフォークランド紛争で使用された。デルタフォース創設時には、初代司令官のチャールズ・ベックウィズによって、CIAの倉庫に大量に保管されていたM3が持ち出され、部隊の訓練用として使用された。その大半が一年もしないうちにMP5と替えられたが「弾丸が.45口径で威力が高い・飛翔速度が亜音速のためサイレンサーの効果が高い」という点から特殊作戦用に少数が残された。

アメリカ本国で引退後も、西側諸国に軍事援助として大量に供与されたM3の一部が、いまだ現用にあると伝えられている。日本の陸上自衛隊でも、創設時にアメリカ軍から供給されて以来のM3が戦車部隊の装備として、一部今も現役にとどまっている。

フルオートオンリーの武器ではあるが、前述の通り発射速度が低い銃なので扱い慣れればセミオート撃ちやバースト撃ちも容易であったという。

M3のバリエーション

M3:最初期型モデル。

M3A1:M3の改良型モデル。破損しやすかったコッキングレバーを省略するなどした。

M3S:第二次世界大戦中に、ベル研究所にて製造されたサプレッサー付きのモデル。

 

フィリピン海軍や一部の特殊部隊は、2004年に改めてM3サブマシンガンを制式採用して話題となった。当初、M4カービン等の取得が計画されていたものの、極度の財政難からこれらが調達されることは無く、アメリカでデッドストックとなっていた本銃に白羽の矢が立った。アメリカは要請に答えて供与し、ダットサイトやレールマウント、消音器を取り付ける等の改修を施して使用されている。

 

第二次世界大戦後の朝鮮戦争にも使用され、現在でも自衛隊の小火器として使用されている。磨かれすぎて銀色になっているせいか使っていた米軍から、日本製の新型SMGと勘違いされる・壊れたから入れ替えで89式になると思ったら新しいグリースガンが届いた、といった笑い話もある。

テレビドラマ『セーラー服と機関銃』1981年版で星泉が使用。クライマックスの射撃シーンは当作の代表的シーンとして連射した後の言葉と共に有名である。