アーマライトについて

アーマライトについて
アーマライトについて
 

アーマライトについて

アーマライト(ArmaLite)は、元々航空機メーカーフェアチャイルドの銃器開発部門で、20世紀の小火器史において最も大きな影響を与えた企業の一つとなっている。

1954年創業したアーマライトは現在世界で使用されているM16やM4等、多くの歩兵用ライフル銃の礎を築いた。現在はイリノイ州ゲネセオに本拠を置く。

 

アーマライトの歴史

アーマライトは設立直後.22口径の自衛用火器AR-5を発表して大きな成功を収めた。このAR-5はアメリカ空軍にMA-1サバイバルライフルとして制式採用され、また民間用の自衛火器としてAR-7を開発。セミオートマチックのAR-7の特徴は、銃を分解した後パーツをストックにしまうことができ、更に銃本体は合金製ながら、ストックはプラスチック製となっていて、組み立てた状態でもストック内に部品を収納した状態であっても水に浮かせることができる。1950年後半に発売されて以降、様々な企業により派生型が製造され、現在もAR-7は人気を博しておりその製造にはヘンリー・リピーティングアームズが従事している。

1954年にM16シリーズの生みの親であるユージン・ストーナーがアーマライトの技術責任者に任命される。ストーナーは第二次世界大戦中海兵隊員で、銃器に精通していた。AR-10を開発し、1955年にM1ガーランドの後継銃の選定を行っていたアメリカ軍に候補としてトライアルに参加。M14、FN FAL、AR-10による三つ巴の争いとなった。AR-10はストーナーの反対を会社上層部が押し切って採用された、アルミ合金製銃身の耐久性不足からトライアルに負けてしまう。このトライアルではM14が制式採用されることが決定した。

アーマライトはその後AR-10を5.56mm口径へ小口径化させてAR-15を開発。これは当時大火力のライフル銃よりも小口径の自衛用火器を装備する方が適していた将校やパイロット、戦闘車両運転手などに使用されていたM1カービンとの代替を狙って開発されたもので、後にAR-10とAR-15の製造ライセンスはコルト社に売却されてしまった。

1964年にアーマライト初のショットガン、AR-17の製造を開始した。

AR-10とAR-15の製造ライセンスをコルトに売却したアーマライトには主力商品が残っていなかった。1963年にはコルトの持つライセンスに違反しない、新しいガスシステムを持つAR-15の”発展型”であるAR-18を開発。AR-18のレシーバーは製造の安易なスチールプレス製で、優れた軍用ライフルだったが大きな販売契約を結ぶことはなかった。AR-18はアイルランド共和軍 (IRA) に採用され、「未亡人製造機」というあだ名をつけられた。

現在アーマライトはスプリングフィールドやロックリバーアームズといったイリノイ州に本拠を置く銃器メーカーと協力してイリノイ州で提案されているアサルトウェポン(攻撃武器)禁止法に強く反対している。